横浜市立大学・石川義弘学長と対談

高橋のりみ

横浜市会議員

石川義弘

横浜市立大学 学長

高橋

石川義弘新学長は、2024年4月に就任。横浜市立大学医学部在学中にイエール大学医学部への留学を経験。その後、コロンビア大学医学部、ハーバード大学医学部などで教員を経験してきたグローバル派です。学長ご就任おめでとうございます。横浜市立大学はどのような役割を担っていくべきだとお考えですか?

石川

ありがとうございます。横浜市立大学は、商学部と医学部をルーツとする大学です。その歴史は古く、1882(明治15)年に設立された横浜商法学校を起源とする横浜市立横浜商業専門学校と1944年設立の横浜市立医学専門学校(後の横浜医科大学)が統合し、横浜市立大学としての歴史を積み重ねてきました。明治初期に医学部のルーツとなる仮病院の設立・運営に携わった医師の早矢仕有的先生は、丸善(現在の丸善雄松堂株式会社)や横浜正金銀行を創業した起業家でした。他にはセブン&アイ・ホールディングス(HD)名誉会長で、イトーヨーカ堂を創業し98歳で亡くなられた伊藤雅俊氏も横浜市立横浜商業専門学校を卒業しており、アントレプレナーシップ(起業家精神)は、現在の横浜市立大学にも受け継がれています。

高橋

就任後に一番最初に行ったことは何ですか?

石川

横浜市立大学附属病院と附属市民総合医療センターの院長には、病院経営に長けている人選を行いました。コロナ関連の補助金が減ったことや、患者数がコロナ禍前の水準にまで戻らず、市民総合医療センターでは20億円を超える赤字に陥りましたが、この数ヶ月では収支の改善が図られてきています。医師だけではなく、医療スタッフ、事務職員など、病院に携わる者全員で取り組んできた成果だと思います。
また、OBの方々の所にも訪問しましたら喜んでくださり、横浜市立大学への支援をお願いしてきました。

高橋

私は入学式と卒業式には必ず参列しており、入学式後のOB講演会でお話を伺った岡山の真庭市にある銘建工業株式会社の 中島浩一郎社長のバイオマス事業に感銘を受けて4ヶ月後には視察に伺いました。横浜市大は金沢区の、横浜市の誇りだと思っています。

石川

附属2病院を合わせると毎年約400名の医師を採用しており、市内の医療機関に常勤の医師を2000人、非常勤の医師を1000人派遣しています。市大の中には約900名の医師が働いています。

高橋

横浜市立大学附属2病院と医学部等の再整備については、『令和2年度策定の再整備構想の方向性を踏まえ、附属2病院を 1つに集約した病院を米軍根岸住宅跡地でに一体的に整備すること』として議論してきました。1000床にして今後の研究に活かしてゆきたいとの事で、福浦にある附属病院の選挙区の議員としては賛成してきましたが、今年になって『新病院は浦舟地区に、医学部等は根岸住宅地区に整備することを基本として、基本計画の策定を進めることを、市と市大で確認』と発表されて衝撃でガッカリしています。

石川

『教育と診療』が分離されている大学はほとんどなく、もしこのまま『新病院は浦舟地区に、医学部等は根岸住宅地区に整備する』となると、横浜市大を志願する若い研究者が減ってくるのではないかと危惧していますので、課題解決のため、臨床研究を行う一部研究機能を浦舟にも設置するなど、横浜市と調整しています。建築費用が高騰していることなどから、現在想定している規模での再整備が難しくなるかもしれないという話も聞いています。私が嘗て留学していたボストンのハーバード大学では街の中心に大学があり、大学は都市の機能の中に組み込まれており、地域産業の発展で掲載経済効果にも期待できインターフェイズスを担う。横浜市立大学も行政や市会、地域の人達のシンクタンクとしての役割も担っていきたい。

高橋

私は今回の横浜市大の分離型の再整備は、何の議論も行われずに突然降って湧いてきた議論大だと思っています。横浜市立大学は横浜市の宝であり、大切な地域資源であります。50年後、100年後の未来を見据えて、中華街まで来ている横浜高速鉄道を本牧、根岸と延伸するなどの議論も行い、横浜全域の経済の発展までも考えていくべきだと考えています。
私は鹿児島県徳之島出身で、今年の7月に86歳でお亡くなりになった徳洲会病院の創設者の徳田虎雄氏は母親と従兄弟になり、とても尊敬している人物です。

石川

徳田虎雄さんの著書『生命だけは平等だ』を40年ほど前に読んだことがあります。医者になる為に『早飯、早糞、貧乏ゆすり』で時間を省力化してきた努力などは大変なものだと思いました。彼の24時間、どんな患者も受け入れる思想が今の日本の救急医療の礎になったと思っています。

高橋

本日はお忙しい中お時間を頂きありがとうございます、引き続き宜しくお願い致します。

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